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2022/09/22

エルトゥールルと只見

| by 只見中-投稿管理者
 海洋教育の視点から学ぶESD.
 只見町の小中学校で取組んできた持続可能な社会を目指した教育です。
 関西方面への修学旅行では、南紀串本で沢山の地元の皆さんからご協力いただき、同じユネスコスクールの串本古座高等学校さんと交流させていただくなど充実した学習活動が行われました。
 
 さて、皆さんはエルトゥールル号の遭難事故をご存知ですか?

 1890年9月16日、串本町大島沖で、トルコ派遣団600余命を乗せた船が暴風雨により遭難。その時、串本町の人たちは自らの命を顧みず、必死に救助。衣食住を提供。そして69名の命が救われました。
 
 それと只見のつながりは?
 エルトゥールル号事故から遡ること約30年、戊辰戦争の時。長州藩を主体とした西軍が、中立を貫き義にかなわぬ戦いを止めようとした長岡藩家老 河井継之助の嘆願を聞き入れず開戦。長岡藩は必死の攻防で交戦しますが、敗北。落城した長岡から会津若松を目指して険しい八十里峠を越えて来た奥羽列藩同盟の武士や長岡藩の婦子女、民衆は2万人を越えたと只見町史に記されています。
 冷たい雨の中、心身共に困憊した老若男女が峠を越え、心底冷え切り、食わず寝ずの命からがらの逃避行の末、只見の地に逃れてきました。
 そのような人々の姿に、天領の民として農耕や狩猟などで生計を立ててきた只見の村民は、冷害で苦しくなるであろう家族の越冬を顧みず衣食住を提供。目的地 会津若松城へ送り出しました。戦いで負傷した河井継之助も峠を運ばれましたが、時すでに遅く、只見で辞世の句
 【八十里 腰抜け武士の 越す峠】
を詠み死去。只見の先人たちは、継之助の亡骸を手厚く葬り、墓を建て毎年慰霊祭が行われています。

 南紀串本と南山御蔵入の人々は、利を求めず、義に生きる行き方をルーツとしています。
毎年9月16日、串本ではエルトゥールル号の慰霊祭が行われてきました。今回、日程により参加できませんでしたが、その前日の15日、シュノーケリング体験活動の裏番組として観光協会の皆様のご厚意で、四人の生徒がトルコ記念館を訪問し、慰霊塔に手を合わました。

 前任校長の横山先生が、当時の生徒諸君のSDGsに取り組む姿から教えられたと、引き継ぎの時に語られた只見と串本の繋がりは間違いありませんでした。

『誰一人として、取り残さない世界』を串本と只見から祈った修学旅行でした。


20:30 | ESD(海洋教育)